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東京地方裁判所 平成2年(ワ)4522号 判決 1993年8月31日

主文

一  被告は、原告Aに対し、金四〇〇万円及びこれに対する平成二年五月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告Aのその余の請求を棄却する。

三  原告Bの請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告Aと被告との間に生じた分はこれを五分し、その四を同原告の、その余を被告の負担とし、原告Bと被告との間に生じた分は同原告の負担とする。

五  この判決は、原告Aの勝訴した部分に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  原告らの請求

一  被告は、原告Aに対し、金四六三七万六七六〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日(平成二年五月九日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告Bに対し、金三三〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日(右同日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用の被告の負担及び仮執行宣言

第二  事案の概要

一  本件は、被告会社で就労中に小型射出成形機の操作で受傷した原告A(以下、原告Aという。)が、被告に対し、右の事故は、被告会社の安全配慮義務違反(債務不履行・民法四一五条)及び不法行為(同法七〇九条・七一七条)によるものであるとして、右受傷に伴う損害の賠償を求め、また、原告B(以下、原告Bという。)が、被告に対し、右の原告Aの受傷により被害者の夫として強度の精神的苦痛を受けたとして、民法七〇九条・七一〇条・七一一条・七一七条に基づき、その固有の慰藉料の支払いを求めた事案である。

二  争いのない事実

1  雇用関係等

(一) 被告は、弱電製品の製造販売等を業とする株式会社である。

(二) 原告らは、いずれもガーナ共和国の国籍を有するものである。

(三) 原告Aは、平成元年一〇月三日から被告会社に雇用され、小型射出成形機を操作して音響機器の差込みプラグの組立加工の作業に従事していた。

2  本件事故の発生

原告Aは、平成元年一一月一三日午後四時一五分ころ、被告会社の工場内で小型射出成形機(以下、本件機械という。)を操作してプラグの組立作業に従事していたところ、左上肢を本件機械に挟まれて左手が圧滅し、その結果左手を手首から切断する傷害を負つた。

3  損害の一部填補

原告Aは、本件事故後、労災保険から、療養補償給付金一五六万〇五九四円、休業補償給付金二三万六二五六円、障害補償年金三八一万〇九六〇円の支給を受けており、また、障害補償給付特別支給金二二五万円の支給を受けることが確実であるので、これらの総額金七八五万七八一〇円が損害額から控除される。

三  本件の争点

1  被告の責任の有無

2  損害額

3  過失相殺

4  原告Bの慰藉料請求権の有無

第三  争点に対する判断

一  被告の責任

1  原告らの主張の要旨は以下のとおりであり、被告はこれを争う。

(一) 被告及びその代表者である甲野太郎は、従業員である原告Aに対し、自己が支配管理する工場内の機械・器具・設備等の諸施設によつて生命・身体が害されることのないように、機械等の点検整備をするほか、操作の方法を十分に説明し、始業前には操作設定をチェックするなどしてその安全を図る義務があるのにこれを怠り、本件機械を通常より速く作動するようにしていたばかりか、操作の説明を十分にせず、始業前の操作設定のチェックもしなかつたため、本件事故を発生させたものである。

したがつて、被告は、原告Aに対し債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償責任を負い、また、原告両名に対し不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

(二) また、本件機械は、実質的には工場の建物と一体をなしているものであり、工場の建物を基礎とする企業設備は全体として土地の工作物となると解されるから、本件機械の設置者である被告は、民法七一七条に基づく責任を負う。

2  よつて、判断するに、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件機械(丙川機械工業株式会社製の小型射出成形機)の操作には二つの方法があるが、通常行われているのは、まず、機械前部の作業台で金属バーの穴に部品を差込み、この金属バーを機械本体の可動盤上の下型の溝に固定し、作業台の両脇にある両手操作式の作動ボタンを両手で同時に押すことによつて可動盤が上昇し、下型と上部固定盤に取り付けられた上型が合致する、上型と下型が合致すると金型に自動的に樹脂が注入されて冷却され、可動盤が下降して樹脂と一体となつたプラグが成形されるという手順である(以下、これを半自動式操作という。)。

この場合、両側ともボタンを押さなければ可動盤の上昇等の作動は行われず、また、上型と下型が合致するまでは両手でボタンを押し続けていなければならないうえ、途中で片側でもボタンから手を離すと下型の可動盤が停止する。

但し、この方法で操作中、片手を離すなどして停止した場合には、作動を再開するには、次に記載する手動式操作に切り換えて各ボタンを押すことが必要である。

もう一つの方法は、本件機械の右側に設置された操作盤の切換スイッチを手動に切り換えることにより、手動式の操作が可能となり、これにより右のプラグ成形の工程全部が手動式となり、可動盤の上昇・下降・樹脂の注入などはそれぞれ操作盤上のスイッチを操作して行われるが、この操作方法を用いるのは、半自動式操作に比べて危険があるため、金型を取り替える際や始業時に樹脂が円滑に流れるかを確認する場合などに責任者が行うのに限られていた(以下、これを手動式操作という。)。

なお、本件機械は、昭和五三年ころに購入されたが、以来、定期点検も行われており、本件事故発生時までに大きな事故や故障を起こしたことはなく、本件事故当日にも特段の異常は見られず、作動速度が速められていたということもなかつた。

(二) 原告Aは、平成元年一〇月三日に被告会社にパートタイマーとして雇用され、翌四日から出勤して小型射出成形機を操作する作業に従事していたが、同月二六日から本件事故発生の一一月一三日までの間、延べ一一日間にわたり、支障なく本件機械を使用していた。

その間、原告Aは、機械の操作方法について、工場内の現場責任者・監督である丁原松夫成形課長から、通訳のできるガーナ人のCなる者を介し、機械両側の操作ボタンを両手で押すことなどを実演する方法で説明を受け、非常停止の方法として、機械の右側に設置された操作盤上の赤ボタンを押すこと、機械上型手前の透明板を上に押すこと、両手で押しているボタンから手を離すことの三つの方法があり、トラブルが生じたら日本人従業員の戊田に報告して指示を受けるべきことを教えられたが、その際、右の操作盤には絶対に手を触れてはいけないと説明されたものの、操作方法として半自動式と手動式の両者があることばかりか、操作盤上の各スイッチの意味やこれに手を触れてはいけない理由(手動式操作の危険性)などについては全く説明を受けていなかつた。

(三) 本件事故当日、原告Aは、午後四時ころに出勤し、別の従業員と交代して本件機械の操作を担当したが、その際、丁原課長は、スイッチが半自動式になつていることを確認したうえ、原告Aが二工程ほど正常に作業するのを見届けてその場を離れたところ、その後間もなく本件事故が発生し、原告Aが本件機械の上型と上昇する下型との間に左上肢を挟まれ手首付近から先が圧滅されるに至つた。

以上の認定事実に反する原告Aの供述は、関係証拠と対比して措信できず採用しない。

3  右の事実関係に徴すると、原告Aが本件事故に遭つた際に本件機械が手動式操作の状態にあつたことは、半自動式操作の状態では両手で作動ボタンを押し続けていなければ機械が作動せず下型が上昇して片手を挟まれるような事故は生じ得ないこと、本件事故発生までに本件機械には何らの異常が見られなかつたことなどの事実からして明らかであり、また、事故前には丁原課長において原告Aが半自動式操作によつて作業を開始するのを確認していることからすると、原告A自身が何らかの事情によつて操作盤のスイッチに触れ半自動式操作から手動式操作に切り換えたものと認められる。

そして、原告Aの右の切換操作をした理由については、原告A自身このような操作をしたことを否定していることもあつて明らかでないが、そもそも被告会社にあつては、原告Aに対し、操作盤には触れるなと指示したのみで、本件機械の操作方法について、手動式と半自動式とがあることや手動式の操作手順、手動式操作は危険であるためこれによつてはいけないことなどについての説明は一切なされておらず、また、従業員が操作を禁止された操作盤のスイッチを誤つて操作するような事態を防止するための措置としては、操作盤の手動式操作のためのスイッチにカバーをかけておくなどしておくことが可能であつたにもかかわらずこれをしていなかつたのであつて、被告会社においてこれらの措置を講じていれば本件事故が発生する可能性は少なかつたものと認められる。

以上によれば、原告Aが被告会社の指示に反して操作盤のスイッチを操作して手動式の操作を行つたことについては、後記過失相殺の項で摘示するとおり、原告Aにも相当の落度があつたことは否めないが、被告会社にあつても、原告Aに対する安全配慮義務を怠り、その結果本件事故が発生したものというべきである。

したがつて、被告会社は、原告Aに対し、民法四一五条・七〇九条に基づき、本件事故によつて原告Aが蒙つた損害を賠償する責任がある。

4  なお、原告らは、本件機械は土地の工作物であるとして民法七一七条の不法行為責任をも主張するが、そもそも土地の工作物とは、建物など土地に接着して築造された設備を指すもので、本件機械のように工場内に設置されたものを包含しないものと解されるから、この点は主張自体失当である。

二  原告Aの損害

1  原告Aの受傷とこれに伴う損害の関係については、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告Aは、平成元年一一月一三日、本件事故で左手圧滅の傷害を負い、博慈会記念病院において、同日から同年一二月二九日まで入院、その後通院して断端形成の手術等の治療を受け、平成二年二月二二日症状固定となつた。

(二) 右の原告Aの受傷(左手圧滅による左手首切断)の後遺障害は、労働者災害補償保険法施行規則別表第一の第五級二号(一上肢を腕関節以上で失つたもの)に該当する。

そこで、以下、その個々の損害額について判断する。

2  治療費等 金一五六万〇五九四円

(原告の主張 金二五五万一六八四円)

診療費及び薬代について、《証拠略》によつて右の額を認める。

なお、原告は、右の診療費のほかに義手代として金一〇〇万円を計上して主張するが、この点の損害額についての的確な立証はない。

3  休業損害 金二三万六二五六円

当事者間に争いがない。

4  逸失利益 金三二九万五八二六円

(原告の主張 金三六七七万三九七六円)

(一) 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告Aは、一九六三年(昭和三八年)一一月五日生れのガーナ共和国国籍の女性で、同国内で生れ育ち、高校を卒業してタイピス卜学校に通つたのちデザイナーをしたりし、一九八七年(昭和六二年)一一月一八日、同国内で同国籍の原告Bと結婚し、一九八八年(昭和六三年)三月二六日、短期在留資格(九〇日間)にて日本に入国した。

(2) 原告Aは、その年のうちに在留資格を喪失したが、そのまま日本国内に滞在し続け、職に就いて収入を得ており、在留資格喪失後の一九八九年(平成元年)一〇月に被告会社に雇用され、以来、時給六五〇円の賃金で一日平均四時間稼働していた(したがつて、日額は金二六〇〇円、月額は二五日分として金六万五〇〇〇円となり、年収はこの月額を一二倍して金七八万円となる。)。

(3) ガーナ共和国における一九八八年の製造業部門の労働者の賃金は、男女平均で月額二万一四一一セデス(年額二五万六九三二セデス)であり、また、同年のアメリカ・ドルとセデスの交換比率が一ドルにつき二二九・八八五セデスで、アメリカ・ドルと円の交換比率が一ドルにつき一二五・八五円であることから、一セデスは約〇・五四七円に相当することとなり、これをもとに右の年額二五万六九三二セデスを円に換算すると、金一四万〇五四一円となる(一円未満切捨て。以下同じ。)。

(二) そして、右の事実関係に加え、原告Aのように短期在留資格で日本に入国し、在留し得る期間を経過したのちも残留を続けて就労する者は、出入国管理及び難民認定法によつて最終的には退去強制の対象となるのであつて、原告Aについて特別に在留が合法化され退去強制の処分を免れ得るなどの事情も窺えないことなどを総合勘案すると、原告Aは、症状固定時である平成二年二月二二日(当時二六歳)から三年間は日本国内において被告会社から得ていた実収入額と同額の収入(年額金七八万円)を得たはずのもの、そして、その後、二九歳時から六七歳時までの三八年間は、日本円に換算して年額金一四万〇五四一円程度の収入を得ることができたものと認めるのが相当である。

そこで、これらの各年収額と期間を基礎として、労働能力喪失率については前示の後遺障害の内容・程度等の諸事情から七九パーセントとし、ライプニッツ係数を用いて、中間利息を控除して後遺障害による四一年分の逸失利益を算出すると、次のとおり、金三二九万五八二六円となる。

780、000×0.79×2.7232+140、541×0.79×(17.2943-2.7232)=3、295、826

(三) なお、原告は、右の逸失利益の算定について、行政取締法規と私法上の効力との関係、在留外国人の出国予定性、現実的な就労・生活の可能性、他の制度とのバランス、憲法・国際人権規約上の保障への配慮、具体的妥当性--波及効果への配慮等の事情から、本件では六七歳時までの将来にわたり日本の賃金センサス(昭和六三年・女子労働者・学歴計)を収入の基礎額として用いるべきである旨主張する。

しかしながら、損害賠償制度における被害者の逸失利益とは、被害者が事故にあわなければ得られたであろう将来の経済的利益を失つたことによる損害(換言すれば、事故にあわなければ得られたであろう経済的利益と事故後に得られるであろう経済的利益との差額)と解され、その算定は個々の被害者の将来における減収を証拠や経験則に基づいて合理的に予測することによつてなされるのであるから、その判断にあたつては、当該被害者の事故当時はもとより将来における就労の場所・内容・その継続性などの事情が重要な要素として考慮されるのは当然のことであつて、本件においても、原告Aの逸失利益については、前示の事実関係を前提として判断したとおりの算定方法によるのが相当というべきである。

したがつて、この点についての原告の主張は採用し得ない。

5  慰藉料 金五〇〇万〇〇〇〇円

(原告の主張 金一一〇〇万円)

前認定の原告Aの受傷及び後遺障害の内容・程度(特に、原告Aは事故当時二六歳の女性であり異国の地で片手を失うという痛ましい目にあつたもので、自身の精神的苦痛はもとより夫が受けた精神的打撃も相当なものと察せられる。)、治療経過、前項で認定したところの日本と原告Aの母国であるガーナ共和国との所得水準の格差、後記の労災保険による損害の填補額、その他の本件審理に顕れた一切の事情を勘案すると、原告Aが本件事故により蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料額は、金五〇〇万円をもつて相当と認める。

6  損害総額

以上によれば、原告Aの損害は、総額金一〇〇九万二六七六円で、このうち、財産的損害が前記2ないし4の合計額の金五〇九万二六七六円であり、精神的損害が前記5の金五〇〇万円ということになる。

三  過失相殺

1  前記一に認定した本件事故発生に至る経緯及び事故の状況等に鑑みると、原告Aは、現場責任者である丁原課長から操作盤には手を触れないよう注意されていたにもかかわらず、これに反して操作盤のスイッチを操作したことによつて本件被害にあつたというのであるから、本件事故はこのような原告Aの過失にも起因しているものというべきであり、これと被告会社の前示の安全配慮義務違反の内容・程度等を対比して勘案すると、前認定の原告Aの損害については、その三割を過失相殺によつて減額するのが相当である。

2  そうすると、過失相殺後の原告Aの損害は、財産的損害が金三五六万四八七三円、精神的損害が金三五〇万円となる。

四  損害の一部填補

1  原告Aが、本件事故後、労災保険から、療養補償給付金・休業補償給付金、障害補償給付特別支給金・障害補償年金として、総額金七八五万七八一〇円の支給を受け又は受ける見込みであり、これを前認定の損害額から控除すべきことは当事者間に争いがないところ、これらの給付は、原告Aの損害のうち財産的損害についての填補となると解される。

2  そして、過失相殺後の財産的損害は金三五六万四八七三円であるから、これに右の労災保険支給による控除額を充てると、財産的損害は全て填補済みとなり、結局、原告Aが被告に対して賠償を求め得る損害額は、慰藉料分の金三五〇万円のみとなる。

五  原告Bの固有の慰藉料請求権について

1  原告Bは、本件事故で原告Aが左手首切断の傷害(後遺障害)を負つたことにつき、夫として強度の精神的苦痛を蒙つた旨主張し、被告に対し、被害者の夫としての固有の慰藉料金三〇〇万円を請求する。

2  しかしながら、前認定の原告Aの受傷・後遺障害の内容・程度に鑑みると、原告Bにおいて、妻である原告Aが生命を害された場合にも比肩すべき、またはこれに比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を受けたものとはいい難く、その他諸般の事情を考慮しても、原告Bに固有の慰藉料請求権を認める理由は見いだし得ない。

したがつて、原告Bの慰藉料請求は失当というべきであり、この請求を前提とする弁護士費用の請求(金三〇万円)もまた理由がなく失当である。

六  原告Aの弁護士費用 金五〇万〇〇〇〇円

(原告の主張 金四二〇万円)

本件の事案の内容、審理経過、認容額等の諸事情に鑑みて、原告Aの本件訴訟の追行に要した弁護士費用は、金五〇万円をもつて相当と認める。

第四  結論

以上の次第であるから、原告Aの本訴請求は、被告に対し金四〇〇万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成二年五月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、また、原告Bの本訴請求は、理由がないからこれを棄却することとする。

(裁判官 嶋原文雄)

《当事者》

原 告 A <ほか一名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 木本三郎 同 水野賢一

被 告 甲野販売株式会社

右代表者代表取締役 乙山太郎

右訴訟代理人弁護士 金子光邦 同 秋田瑞枝 同 江口公一 同 戸取日出夫 同 森田茂夫

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